「ものののこしかた」展評 文:古川智彬

「ものののこしかた」展評 
文:古川智彬


この文章は、グループ展「ものののこしかた」の展評として書かれた。私は、作家プロフィールや作品紹介などのテキストの校正のお手伝いという形でこのグループ展に関わり、東京都美術館での展示の際には、出展作家のほとんどから直接話を伺うこともできた。以下の記述は、こうした形でこのグループ展に関わってきた人間の手によるものであることを、あらかじめお断りしておく。

 「ものののこしかた」は、文字通り「ものののこしかた」=「アーカイヴ」について考察しているグループ展であるが、そもそもこうした主題の展示が企画されたきっかけとして、福島県西会津町で教員や郷土史家として活動した古川利意(1924‐2020)の存在があったという。まずは「もののこしかた」で展示されていた古川の作品に触れつつ、その活動についても手短に確認しておきたい。

 今回展示されていた古川の作品は、日々の生活の中で起きた、ごくごく個人的な出来事を絵と文字で書き留めたものである。生前は教員や郷土史家として知られた古川にとって、これらの作品群は決して美術館で展示しようと思って制作されたものではなかった。しかしこの度美術館において展示されたことによって、それは芸術作品という新たな生を与えられることになった。

 古川がこうした絵日記を残した背景には何があったのか。生前のインタビューでは、次のように述べている。

 少子高齢化が進んでいくことで、昔の貴重なものも気付かれないまま忘れ去られたり捨てられてしまっているのが現状です。実際にそのものの使い方や作り方を知っている人もいなくなってしまうことに危機感を覚えます。少しでも、後世に昔の文化や習慣を伝えていけるように今後もこれまでの活動を命がある限り続けていくことが私の目標です。

 「昔の貴重なもの」がその「使い方や作り方」といった記憶や技術と共に、今まさに消えつつあるということ。こうした状況に対する危機感が、遺跡の発掘や町史の編纂といった郷土史家としての仕事に加えて、私的な出来事の記録という作業の背後にはあったのだろう。こうした危機感の下で、教員や郷土史家としてのいわば公的な営みと日々の記録という私的な営みが同時に行われていた。

 以上の事情を踏まえれば、古川の作品を美術館で作品として展示するということは、彼の私的な営みを、公的な場へと引き出してきたのだと、さしあたりは言える。しかしことはそう単純ではない。これから確認していくように、「アーカイヴ」について再考するというテーマを掲げ、美術館という公的な場で展示することを前提に制作された古川以外の出展作家たちの作品には、随所で私的な側面が露出している。もはや私的/公的を峻別することに意味が感じられなくなるような地平を創出すること。「ものののこしかた」のステートメントに記されていた「「つくること」と「のこすこと」を区別しない」という一節が示していたのは、まさにこのことではなかったか。

 

 これくらいで、他の作家たちの作品を確認していくための準備は整ったということにしよう。あとは一つ一つ、手短にではあるが確認していく。五十音順で進める。

 新井毬子の「あわい」は、西会津の土を原料にして、縄文土器の作り方に従って制作され

た計13体の人形だ。そもそも西会津町は、縄文土器が出土することで知られており、「ものののこしかた」の巡回展が行われた西会津国際芸術村では、2016年に「西会津・縄文土器展」が行われてもいる。そんな西会津で縄文土器の発掘調査を手がけ、さらにはその復元も行なってきた佐藤光義に新井が師事することで、この作品は作られた。

 こうした制作の背景には、「人間とはどういう存在なのか」という、これまでの新井の作品にも通底するかなり大きなテーマがあったという。実際に縄文土器を作り、はるか昔の縄文人たちの思考を手を動かしながら想像によって追体験することで、いくら年月が経っても根っこのところでは変わりようがない人間の特徴を、頭と手の両方で「つかむ」こと。

 こうした壮大なテーマが背景にある一方で、アーティストトークでも語られていたように、新井と佐藤との「あわい」で生じたあたかも親子のような関係、そしてその関係のなかで生まれた大切な時間の、私的な記録という面がこの作品にはある。それはちょうど、古川が郷土史家として考古学的な調査に従事しながらも同時に私的な記録を残していたことを想起させる。

 居村浩平「ものづくりのかたち」は、ものづくりをしている職人たちが、物質のない状態でものづくりをする様子の映像作品になっている。この作品の制作にあたっては、職人たちが物質のない状態で作業をすることに難色を示し、断られることもあったという。それはそうだろう。それがものづくりである以上、そこにものがなければ何のためにやっているのかまるでわからないからだ。

 とはいえ、こうした一見奇妙な作業の様子を記録することによってわかってくることもある。それは、ものづくりに欠かすことのできない技術や記憶の存在だ。物質がないことによって、こうした技術や記憶がかえって強く感じられるようになっていると言える。

 ところで、この作品の紹介文では、参考文献としてフランスの哲学者アンリ・ベルクソンの『物質と記憶』が挙げられていた。ベルクソンによれば、過去は人間の頭のなかに存在しているのではなく、それ自体として存続する。そして記憶とは、現在の場面に即して、そうしたそれ自体で存続している過去を利用する能力とされる。こうしたベルクソンの考えは、「現在だけが存在し、過去は流れ去って存在しなくなる」という常識的な見方に真っ向から反対している。それゆえに、現在だけに注目し、その時々の必要に迫られて行動するようなあり方を批判する力を持つ。こうした考え方が参照されていたことは、アーカイヴについて考えるこのグループ展にとって極めて重大な意味を持っていたと言える。

 岩崎広大「記憶と記録」は、行き場を失った昆虫標本をインスタントフィルムに焼き付け、それが現像される様子を捉えた映像作品になっている。そもそも人間の都合で標本にされたのにもかかわらず、保存されるという標本の本来の役目すら失ってしまった昆虫たちに、芸術作品という形で新たな生を与える作品であると言えるだろう。

 アーティストトークで岩崎が「じれったい時間」という言葉を用いていたように、この映像では昆虫の姿がなかなか浮かび上がってこず、その姿を確かめるにはしばらく立ち止まらなければならない。そうしてこの「じれったい時間」を通過することで、ものがのこされる

ために必要とされる時間や労力のことに自然と思いを致すことになるだろう。

 もちろん、じれったさに耐えられずにすぐに通り過ぎてしまうこともあるだろう。実際私も、通り過ぎることはなかったが、じれったくてモニターの画面をタッチして、スマホで見る動画のように早送りしたいような気持ちになった(もちろん不可能だが)。こうして改めて、普段自分がいかに色んなものを早送りしようとしているかに気付かされる。しかし、現実の時間は早送りできず、常に1.0倍速で流れ続けている。

 菅野歩美「未踏のツアー」は、西会津を訪れたことのない状態で、様々な資料やリモートで聞き取った民間伝承に基づき、もう一つの西会津をCGで作成し、その上でその空間をツアーする映像作品になっている。

 このもう一つの西会津には、様々なレイヤーが重ね合わされている。例えば牛海と呼ばれる地すべりによって生まれ、かつては存在していた湖が重ねられている。それゆえ、ツアー中に少し地下に潜るとそこは湖になっている、というようなことが起きる。また、古川の作品を通して知った風習が、地形に反映されている。古川の私的な記録が、作品であると同時に、地域の風習を伝える資料としても同時に機能していたという点が面白い。

 このもう一つの西会津を制作する過程では、グーグルマップのストリートビューの機能を利用して、西会津という土地への理解を深めたそうだ。その上で、実際の西会津とは異なる空間であるがゆえに、そこをツアーするための地図を書きながらCGを完成させていったという。こうしてCGと地図とを行きつ戻りつし、西会津を訪れたことがないことへの躊躇いも感じながら制作されたCGのいびつな画面は、こうした複雑で躊躇いを伴う制作プロセスの現れのように見えた。それはちょうど、絵筆の運び方に制作プロセスが現れるのと同じようなことだろう。

 辻梨絵子の「沼田薬品工業株式会社」は、認知症の祖父が想像で作り上げた製薬会社を、会社のポスター、パンフレット、そして社長へのインタビュー映像として形にした作品になっている。最初は実在する会社がPRを行なっているスペースにしか見えないので、鑑賞者の多くに戸惑いや驚きを与えているように見えた。

 辻によれば、祖父が認知症になって以来、この架空の製薬会社をめぐって、家族のあいだでの会話はむしろ増えたのだという。だとすれば、この製薬会社のお話は、辻の家族にとっては単なる想像を超えた現実的な機能を果たしていたと言えるだろう。そしてこの度、作品という形でこの現実は、より開かれた現実となったのだと言える。

 小倉拓也は「老いにおける仮構」という文章において、哲学者ジル・ドゥルーズの議論を参照しつつ、認知症者たちが行う「作話」を、老いというあらゆるものが記憶・保存されずほどけていく「崩壊」の過程のなかで、それでもその「崩壊」に抗い「まがいものの絆」を「仮構」する営みとして捉え返す。その上で、認知症者の「仮構」がもたらす呼びかけに応答することで生じる「不確かな共同」の可能性を論じていた。辻が今回制作した「沼田薬品工業株式会社」のパンフレットは、持ち帰り可能であった。そうして様々な家のテーブルの上にパンフレットが置かれたとき、そこからどのような呼びかけと応答が生じていただろうか。

 西尾佳那「地にまつわるナラティブ」は、西会津のとある集落でのリサーチを基に、「ボロサシコ」という衣装の継ぎ接ぎの手法を用いて制作したチンドン屋の衣装を中心とした作品になっている。今や住人がかなり少なくなってしまったその集落でも、かつてはお祭りの際にチンドン屋が練り歩いていたという。その当時の様子を写した写真に西尾が触発されて、この作品は制作された。

 アーティストトークで西尾は、一旦作品という形でアウトプットしてみたものの、この作品がどのような意味を持ちうるのかということについて、まだ自分でもよくわかっていないというようなことを述べていた。しかし一方で、確かなことは、いつの日か再び同じ集落でチンドン屋を復活させたいという思いがある、ということであった。この作品は単に集落の過去の記憶を「のこす」だけでなく、集落の未来を「つくる」ことにも向けられている。 

 もちろん西尾が描く未来は、現実離れした想像上のものでしかないと言うことも可能だろう。しかしながら、集落が「崩壊」していくなかで、それでもその「崩壊」に抗い、かつての記憶の断片を継ぎ接ぎするかのようにして「仮構」されたその未来は、たしかに人々に応答を迫る力を有していたと言えるはずである。

 畠中瑠夏「初夏、川沿い第8世界をたたむ」は、畠中が西会津を目指して漂流を行った過程で使用した寝床やその日の体験を記したドローイングなどの作品になっている。全て採取した草から作られており、作品に近づくとマスク越しでもしっかりと伝わる草の匂いがするのが非常に印象的であった。

 畠中はこうした漂流を、かつて日本に存在していたと言われる「サンカ」と呼ばれる放浪民たちを念頭に置いているのだという。その上で、古川による私的な記録方法を自身に引き寄せ、記録を行いながら漂流を行った。

 またその際、ウルトラライトハイキングというハイキングの手法を取り入れていたという。ウルトラライトハイキングとは、長い距離を歩くために生まれた方法論で、文字通り持っていく荷物を極力減らし、軽量にするというハイキングのスタイルを指す。長期間にわたるハイキングでは、ハイキングという非日常がむしろ日常となる。同様に、畠中の漂流もまずは単なる日常であり、そこでの記録も単なる私的なものでしかない。しかしながら、漂流である以上誰かに見られる可能性は絶えずある。漂流が終われば、寝床もドローイングも草でできているがゆえに自然に返して自分のものではなくなるのと同様に、畠中の漂流という名の制作過程においては、「つくること」と「のこすこと」、あるいは私的と公的といった区別ははっきりとできない。両者の循環は8の字を描いている。

 

 以上、駆け足ではあるが各作家の作品を瞥見してきた。最後に改めて、これら作品群を通して考えたことを記しておきたい。

 私はこの文章を書くにあたって、気が付くとなぜか東日本大震災の後に被災地で幽霊が出たという話にまつわる本をいくつか読んでいた。地面が大きく震え、海沿いでは大量の水の塊が陸上のあらゆるものを押し流した。とてつもない「崩壊」である。幽霊とは、こうした「崩壊」に直面した人間が、それでもその「崩壊」に抗い、かつての記憶の断片を継ぎ接ぎするかのようにして「仮構」したものだったのだろう。これは幽霊を貶めているのではない。それはどうしても必要なもの、強い言葉で言えば希望だった。もちろん、とてつもない絶望もまた、そこかしこにあっただろう。しかしそうだからといって、この希望が消えてなくなるわけではない。両者は両立しうる。この幽霊の話を持ち出すことで強調したいのは、幽霊というのは人間の意志に全く従わない存在であるということだ。このことは何を意味するのか。

 時として、地震のような激しい「崩壊」が急に訪れることがある。そうでなくとも、この先様々な場所で街や村や集落が、徐々に「崩壊」していくだろう。人間はいつか必ず訪れる個体的な「崩壊」=死を免れえないし、生きているあいだにも記憶がどんどん「崩壊」していくこともある。様々な公的な場所に保管されている文物あるいはそれにまつわる技術や記憶も、破損、破棄、散逸、忘却といった「崩壊」を免れることはできない。かように人生は、世界は、「崩壊」に満ちている。

 もちろんこうした「崩壊」に際して、仕方のないことだと諦めたり、合理的な計算に基づいて自分を納得させようとしたりすることは可能だ。しかしそれだけではことが済まない場合もある。どんなに諦めがついても、どんなに納得ができていても、そういう自分の意志とは無関係に、想像力が「崩壊」に抗い、「まがいものの絆」を勝手に生み出し始めることが、たしかにある。それはまさに、想像力が自分の意志を離れた幽霊と化す瞬間である。そうした想像力の働きを、生かすも殺すも私たち次第で、だからこそこの幽霊をしっかりと見つめなければならない。「ものののこしかた」は、それに適した展示であったように思える。つまるところ「ものののこしかた」とは、想像力が「崩壊」に抗う仕方のことではなかったか。

 

 

古川利意記念美術館「農と暮らし」

蔵を改修した奥山に佇む美術館

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